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ゲシュタルト療法は精神分析医のフレデリック・パールズが提唱しました。
その元になったゲシュタルト心理学は形態心理学とも言い、人間は外部の世界をバラバラの寄せ集めとして認識するのでは無く、意味のある一つにまとまった全体(ゲシュタルト)として認識しているという考え方です。
ゲシュタルト療法はその考え方を元に、患者さんの主体性を尊重した自らの「気づき」(Awareness)に着目しています。
この「気づき」を促す為に、精神と身体の関係性に着目して、言葉だけで無く身体表現を療法に取り入れて発展させて来た事が特徴です。
この「気づき」を以下の3の領域に分けています。
身体の内側で起こっている感情、痛み、呼吸、姿勢等を意識化する「気づき」、身体の外部で今実際に起こっている事を視覚や聴覚や触覚など五感を通して感じる「気づき」。
そして頭の中で起こる想像、空想、思考や記憶が心の不安や悩みを引き起こしている事を自己洞察して、「なるほど、そうだったんだ」と納得する3つめの「気づき」です。
ゲシュタルト療法はこの3つの気づきによって、身体と心の全体性を確認して「今、ここ」をあるがままに受け入れる様にサポートします。
そのプロセスでは演劇、夢、自己との対話の技法など様々な技法が応用されます。
内観とは吉本伊信(1916~1988年)が考え出した自己探求のやり方です。
内観には教育的な自己啓発と心の病を治す心理療法の両面があり、それぞれ内観法と内観療法と言います。
元々吉本自身、若い時から浄土真宗に傾倒し、厳しい修行(身調べ)の経験の中で阿弥陀仏によって生かされているという、深い宗数的な歓喜の体験をしています。
その体験(身調べ)は他力本願の浄土真宗では異端としているそうですが、自分の使命として多くの人にも同様の体験が出来ないものかと言う事から内観という方法が考え出されたのです。
それが心の病のある人達にも大変効果がある事が分かって来て、次第に心理療法の一つ、内観療法として認められる様になったのです。
内観のやり方は、基本的には過去の自分の歴史をたどり洞察して、新たな自己を発見する事が目的になります。
その中心になる発見は、愛されている自分、自己中心的な自分、そして問題や症状の原因になった事等です。
内観療法では、その人が今まで関わりのある人間関係の中から、人から世話になった事、人にしてあげた事、人に迷惑をかけた事の3点の具体的な事実を過去から現在まで年代を区切りながら詳細にたどっていきます。
過去から現在までの自分の歴史の中で「自分がいかに多くの人々の協力や愛情によって成長して来たかが自覚され、自分が不幸であると言う感情から解放され、高慢な気持ちが消え、感謝の気持が湧き、他者への奉仕の気持ちが生まれて来る」様に促していきます。
心と体の筋肉を弛緩、解放させる事で自律神経系の安定をもたらす方法としてリラクセーションがあります。
その技法には色々ありますが、筋肉のリラックス、呼吸法、瞑想の3要素が大切になっています。
静かな室内で椅子に深く腰を下ろし、衣服を緩め、ゆっくりと筋肉の力を抜いて行きます。
日頃、緊張し身構えている状態が続くと全身の筋群は収縮していますが、この状態の人にいきなり、力を抜くように言ってもどうして良いか分かりません。
その為にそれぞれの筋肉をストレッチする事で身体を感じ、次に足の指、脚、腰、背、首と体の隅々にまで意識を向けさせ、身体を気付かせるのです。
この様な方法で無理な場合は逆に筋肉を緊張させて、その緊張の感覚を味わいながら力を抜き、その緊張がほぐれていく感覚から力が抜けるという感触を得る段階的リラクセーションという方法もあります。
筋肉をリラックスする事で、大脳皮質の覚醒レベルが鎮静化して緊張や興奮を下げるのです。
次に呼吸は息をゆったり吐きながら、吐く息に意識を向けます。自律神経は自分の意志でコントロールする事は出来ませんが、この中で意図的に操作する事が出来るのが呼吸なのです。
その呼吸をゆったりしたリズムで行う事で、身体の興奮を静める事が出来るのです。
その時雑念や想念を無理に追い払おうとせず、意識を吐く息に注意を向けるようにします。
雑念が浮かんでも意識を吐く息に向ける事を繰り返す事で、全身の緊張が緩んで行くのです。
その効用は精神的に不安定な時でも精神統一、冷静へと容易に切りかえる事が出来る様になり、ストレス、不快感、イライラ、敵意を抑制でき、心身症や神経症にも効果が期待出来ます。
整体院にいらっしゃる患者さんの中にはストレスが身体症状を表す心身症の患者さんは多いものです。
はっきりとした神経症やうつ病では専門の受診か必要ですが、心身症ではストレスのコントロールが大切になります。
心身症と神経症との違いは、心身症もストレスによるものとは言え、検査などによって異常が見られるものですが、神経症は医学的な異常が見られないのに身体症状が続くものです。
心身症は社会に過剰適応した状態である反面、自分の感情には気付きにくい失感情症的な傾向があります。
多くは頑張り屋さんで、感情を表に出さない事に満足感や安心感があります。感情を表に出す事を恐れていると言い換える事も出来るでしょう。
こういう患者さんには「ストレスがありますか」と聞いても否定的な答えが返って来ます。むしろ「疲れていますか」と言う様な問い掛けによって患者さんのストレスが浮き彫りに出来るでしょう。
こうした患者さんには始めから感情に的を絞ったような接し方ではなく、まずリラクセーションの方法を学んでもらう事が第一です。
呼吸法や自律神経訓練法等を学んでもらって身体の緊張を自覚してもらうのです。
それによってストレスに自覚的になり、身体症状がそのバロメータになっている事が理解されていきます。
高齢者は、身体機能が低下して病気になりやすくなります。
また、配偶者や友人との死別、子供の巣立ち、定年退職、家庭での役割の変化等人生で得た色々なものを徐々に失っていきます。
健康、経済的基盤、人間関係等が喪失する老年期は、この為に自らが無力化していく状態を感じやすいのです。
この状況が大きなストレスとなり、心の変化として現れることがあります。
不安や寂しさから、自慢話、昔話、愚痴等の話をしたがる、頑固になり自己中心的にもなる、被害者意識が強くなり、ひがみっぽくなる等。
この心の変化が身体にも影響し、めまい、頭痛、肩こり、不眠等の自律神経症状や、循環器系、消化器系、呼吸器系など非常に多様な症状が現れて心身症になる事があります。
高齢者は心の底にある死への不安から、体の状態に強い関心を持っているので、コミュニケーションをとる場合はその心理状況を踏まえて配慮する事が大切になります。
また高齢者の中には自分を大変低く評価し自信を無くしている人があり、「私の様な年寄りの話はつまらいない事ばかりで、聞いて貰っても対して役に立た無いだろう」と思い込む場合もあります。
話しをする時は、相づちを打ったり、話しを要約して返したり、相手の感情を正確に把握して、その感情を言葉で返す等、聴き手が関心と敬意を払って白分の話を聞いてくれていると感じれる事が出来れば、それが患者さんの生きる自信を持つ事に繋がります。
心の病いを診る「精神科」は精神医学を基礎とし、人間の心に起こる思考・知覚・感情・意欲等の異常を取り扱い、その原因を探って改善や予防を図ります。
また「神経科」は神経学を基礎として、神経系の器質的・機能的な障害について診ます。
分野を分けてはいますが隣り合うもので、脳の器質障害によっても精神症状は現れるし(老人性痴呆等)、精神病とされて来たものでも脳や神経系の異常が原因だと分かって来たもの(てんかん等)があります。
研究が進むに連れ「脳神経外科」「神経内科」「心療内科」等の専門科が生まれ方法も細分化されてきました。
受診する時は迷うところですが、病院によっては神経科でも広く精神障害を扱っている事があります。
精神科ではまず艮く時間をとって問診を行い、どんな症状でどれ位続いているのか詳しく聴きます。
精神症状の背景に器質的なものを疑う場合は、脳波やCTスキャン等の検査をします。
本人が上手く自分の症状や悩みを訴えられない場合には心理テストを行い、精神年齢や記憶力等を調べる知能テスト、クレペリンなどの作業能力テスト、ロールシャッハ等の性格テスト等で、その人の長所や短所や価値観を考慮して方針の参考にします。
主流となるのは薬物療法で、症状に応じた抗うつ薬・抗不安薬・抗精神病薬等の向精神薬で症状を軽減します。
病気の抑制や再発防止の為に精神療法を始め作業療法や生活療法等を組み合わせて行くのが、基本的な形です。
ストレスは病気を引き起こしますが、病気も又ストレスになります。
痛みや疲労感、吐き気、麻痺等の身体的な不快感はもちろん、経済的な不安感や病気による生活の変化もストレスとなって病状に影響します。
特に高血圧や糖尿病を始めとする生活習慣病は慢性病であり、それによるストレスも大きいものとなります。
まず患者さんはこんな病気になってしまった事自体を受け入れられないものです。
しかも食事制限や運動をしなければならない事や、ずっと薬を飲み続けなければなら無くなったと言う事態も激しいストレスになります。
とは言ってもこうした長期にならざるを得ない病気を、いつまでも拒否する人と、病気と共に生きようと前向きに捉えた人とではそのストレスを感じる度合いは違って来ます。
いつまでも拒否的でいる人は病気の知識を得る事も、セルフコントロールの方法を学ぶ事も拒みます。
しかしこうした拒否の態度は単に病気を受け入れられない事だけで無く、こうなった自分の状況への怒りや情けなさの感情が強く働いている事が多いものです。
こうした患者さんに対しては指示よりも、患者さんの気持ちを理解し、苦しい状況に対する共感的な交流を図る必要があります。
患者さんが自分の状況を受け入れた時、自律的なセルフケアが始まります。
カウンセリングにも色々な理論がありますがその一つが交流分析(T A : Transactional Analysis)と呼ばれる方法です。
TAは精神分析の口語版とか普及版等と言われ、カウンセリングだけで無く、教育や産業の場で広く応用されている理論体系です。
基本的にTAは今、こここそが大切で、過去や他人は変えられ無い、変えられるのは自分なのだと言う事を原則にします。
人の欲求として、まず心の栄養とか承認されたいと言う欲求(ストローク)を持ち、他人とのストローク交換を求める物であるとします。
その他人とのストローク交換が交流であり、そのパターンの分析やゲーム(対人関係の中で繰り返される悪い癖)の分析、等を通して自立性を得る事を目標にしていきます。
その分析に先立って、自我の状態を目に見えやすくグラフ化したものがエゴグラムと呼ばれるものです。
基本的に“私”には
親(P=Parent)厳格な親の心
優しい親の心
大人(A=Adult)理性的な心
子供(C=Child)わがままな心
天真爛漫心
の自我状態があって、これを自分でチェックし、グラフ化する事で自己のパターンに気付き、より良い自分へと変容して行く力とします。
この交流パターン分析、ゲーム分析等は先生と患者さんとの具体的な場面で効果的に応用出来るでしょう。多くの入門書や書籍が出ているので参考にしてください。
森田正馬(まさたけ)の森田療法は、19世紀から20世紀に日本の社会が激しく変化して、日本の伝統的価値観が大きく揺らいだ「不安の時代」の中から生まれています。
森田自身も20歳の時に不安発作を体験し、それから24歳で帝大医学部に入学するのですが、ずっと神経衰弱に悩まされていて、それを独自の方法で克服していきました。
そうした自己の問題もあり精神医学の道を歩み始めて、1919年に出版して森田療法が完成したのです。
不安や対人恐怖や強迫観念等の神経質症状に対する森田療法は独創性があり、本人は否定していますがその独創性の根底には老荘思想や仏教や東洋的な死生観があると指摘されています。
現代も「不安の時代」と言え、今でも世界的に広く注目されている療法です。簡単に言えば、自己を拠り所にして、有るがままの自分を認める為の技法と言えます。
森田自身が言っている様に「我々の身体および精神の活動は自然の現象である。人為によって左右する事は出来ない」だからこそ自然に逆らわない、有るがままの生き方を自己を拠り所にして受け入れる事が必要だとしています。
不安や恐怖から逃げようとするので無く、それとしっかり対峙する事を勧めています。
不安や恐怖心は丁度人の影の様に逃げれば逃げるほど追っかけてくる。立ち止まってじっと影を見続ける事で、次第に「煩悶期」から「煩悶解脱期」そして回復して行く「退屈期」に移行するとしています。
厳密な森田療法は入院療法ですが、現在は外来で森田療法を行ったり、カウンセリグのやり方にとり入れられたりしています。
人は社会的なシチュエーションによって様々な役割を果たしていますが、病気と言うのも一つの役割を持たせる事になります。
アメリカの社会学者のパーソンズによると、人が病気になると病者になり“病者役割”の行動パターンが出来ると言います。
まず病者は健康な人が果たしている社会的役割を免除されます。仕事や家事等が出来ない=しなくて良い事になる訳です。
ここからある種の依存が生まれる事になりますが、人によってはその依存状態になる事を拒否したり、反対に居心地良く感じる為に健康になりたく無いという感情が生まれる事もあります。
しかし基本的に病者は病気を治して健康になる努力をする事を回りから求められます。
その為には受診しなけなければなりませんが、医療を受けるという行為の中で、病者は患者になり、今度は患者役割を果たす様になるのです。
つまり病者イコール患者でなく、病者が医療の中で先生と向き合った時に患者役割の行動となる訳です。その時先生一患者の関係は、能動一受動、指導一協力、相互参加、サービス提供者一消費者等の様々なパターンをとります。
整体院に来る患者さんは。どの様な病者役割の患者さんなのか、患者として施術者との関係をどんなパターンで望んでいるのか、両者の役割の捉え方にズレを無くす事も患者さんの心のケアにとって大切になります。