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ヨーガとはサンスクリット語で「結びつける」とか、「馬を馬車に繋ぎ止める」の意味で、間の五感を統一し、解脱の境地に高める「行」を指します。
5000年前の北インドに起源を持つヨーガはその後いくつもの流派が生まれ、信仰を中心にしたもの、倫理・道徳、あるいは呪文を中心にしたものと様々です。
現在日本で普及しているヨーガはラージャ・ヨガが(王様のヨーガといわれる瞑想を中心に精神的な面を追及する古典ヨーガ)と、ハタ・ヨーガ(からだを健康にする事によって至福の瞑想状態に導くというヨーガ)を一緒にした近代ヨーガともいうべきヨーガが普及しています。
しかも指導者によって重点とする部分や方法も違ってくるので日本でも実に多くのヨーガがあります。
一般的にヨーガは、「調身」、「調息」、「調心」の3つの方法が中心となります。
「満身」はアーサナ(体位法)を用いて身体を整える方法で、いわゆるヨーガ的ポーズです。
アーサナでは、伸展(ストレッチ)、緊張(筋に力をこめる)、圧迫(ねじりなど)、逆転(逆立ちなど)を用いて体を整えていきます。
特にストレッチは身体の緊張を解いて瞑想に適したからだの状態を作るもので、スポーツの世界で体系化されているストレッチはヨーガのストレッチから多くのものを取り入れています。
調息とは呼吸法のことで、ヨーガの呼吸法は腹式呼吸を中心として100種類以上あるといわれます。
正しく行う呼吸法によって自律神経を調整し、心身ともに強化します。調心は瞑想によって精神を集中させ拘りのない自由自在の境地へと導きます。
日本の食養生の中でも大きな影響を与えているのが桜沢如-(1892~1966)のマクロピオティックでしょう。
桜沢は、石塚左玄(明治時代の軍医であり食養家)を源にして中国の陰陽を組み込んだ独自の生命観「無双尿剛をうちたて、玄米正食(穀物菜食)を中心にした食養法をつくりました。
食養法というよりも生活全体の規範といったほうがいいかもしれません。その食事の考え方の基本は次の5つです。
「身土不二」
自分が生きる環境の範囲内の食物を食べる。つまりその土地でとれる旬の食物を食べること。
「一物全体」
食物は全体を食べる。玄米、玄麦、精製しない砂糖、塩など。野菜も皮など全体を食べる。
「穀物菜食」
肉食しない。
「陰陽の調和」
食事に限らず、様々な物事、生活を調和させる
「正しい食べ方」
よく噛むこと。少なくとも30回。以上が基本となります。
桜沢はこの考え方を海外にも積極的に広げ、ジョージ・オーサワの名で広く知られています。
マクロピオティックは桜沢以後、医師や栄養士、東洋医学者、民間の健康法の指導者など、様々な人に受け継がれています。
そして解釈の違いやその個人独自の方法等も加味されて○○式食事法等と呼ばれる多岐に渡る食事法として広がりをみせています。
西洋のカロリー中心の栄養学の反省から日本の伝統食を再認識、普遍化しようという流れといえます。
しかし一部には現代医学に対する不信のあまり個人の条件や環境を無視した極端な偏食を導き、かえって自然食による弊害が発生している事も無視できません。
本来のマクロビオティックでは基本に沿いながらも科学的、栄養学的な考え方も退けない、融通無碍の食養生として発展していく事を目指すものといえるでしょう。
人間の五感、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚は外界の情報を得るのに極めて重要な役割を担っています。
健康で生き生きとした大脳の働きを維持するには、これら五感からバランスの良い刺激を受ける事が大切です。
しかし現実の生活は、本やテレビ・ビデオ・パソコン等視覚からの情報が多くを占め、嗅覚・味覚・触覚の情報は少なくなっているのが現状です。
しかし人間は本来、五感のバランスを保ちたいという無意識の欲求を持っている様で、例えばグルメブームや激辛ブームの様に味覚に関する関心が高まったり、ガーデニングで生命を育てる手触りを実感したり、自然の色彩や香りを楽しみたいというのはその現れかもしれません。
アロマテラピーがもてはやされるのも、失われた香りをオフィスや生活の場に取り入れ、日常のストレスから癒やされたいという大脳の欲求が働いている様です。
眼を酷使するような生活による疲れやストレスは、他の五感を刺激することで相反的に癒す事ができるのですが、とりわけ森林浴等は養生効果が大です。
豊富な縁は視神経の興奮を静め、鳥のさえずりや葉ずれの音に聴覚を働かせる事によって視覚の疲れをとり、更に森林内に満ちるテルペンの香りを嗅ぐ事によって身体の内分泌機能を高めて副交感神経の働きを優位にします。
深呼吸をする事で自律神経のバランスを整える、清流の水を味わうなど、五感の全てをバランスよく刺激する事で大きな養生効果が生まれます。
エアロビックダンスでは数秒しか耐えられないお年寄りでも、無理なくできる養生法として太極拳があります。
健康体操として広がっていますが、元は中国武術のひとつです。中国武術を大別すると外家拳(硬拳)と内家拳(柔拳)になります。
外家拳は骨格、筋肉などの身体を鍛錬して動きが直線的で激しい武術です。内家拳は内臓、感覚、精神などの内面を修練し、動きが緩やかで円運動を中心とする武術です。
太極拳はこの内家拳に属します。史料によると明末武将の陳王庭がはじまりといわれ、道教の吐納術(呼吸法)、太極陰陽説、経絡説が取り入れられています。
陳家から派生した太極拳は楊家、呉家、武家、孫家等の流派に分かれていきますが、基本的鍛錬では、リラックス、心の平静、腹式呼吸、意識の動作への集中、動作の柔軟性、緩慢性等がどの流派でも求められます。
この鍛練法が身体に良いという事で注目され、1956年に毛沢東主席の「体育活動を発展させ、人民を向上させよう」という事で、楊式太極拳をベースに各流派の長所を取り入れ編成し、中国国家体育委員会により「簡化24式太極拳」が作られたのです。
太極拳は動きの中で静を求め、気を丹田に沈めるという大切な考えがあり、意識を運動に集中させてリラックスして行う事が求められます。
そしてゆっくりと意識的に日頃使わない部位を動かすことにより、全身の血行を良くし、筋肉が柔軟になり、筋力が増加します。
また、腹式呼吸で深くゆっくりと呼吸する事により自律神経の調整、横隔膜の上下運動で内臓が強化されるのです。
姿勢を低くして行えばかなりきつい全身運動になるので、若者からお年寄りまで幅広い年代でできる養生法です。
西洋でもヒポクラテスの頃から医術の原理を養生法、薬剤学、外科の三部分に分けていました。
外科の象徴が鉄の輪、薬剤学は蛇、そして養生法を表すものは杖でした。
そして、この養生法に関して言えばアラビア医学から強く影響を受けています。
養生の書として日本の「養生訓」に匹敵するものといえば、13世紀の中世に産まれた「サレルノ健康規則」です。
20世紀にはいった1915年にもドイツで「サレルノ大学の医学的教訓詩」という題名で翻訳出版されているほどポピュラーなものです。
この本は、多くの詩篇からなっていて、大変読みやすく、朗読にも向いています。
最初の頃は200から300の詩で構成されていましたが、後の版では詩の数が数千にもなったそうです。
著者は不祥です。巻頭の言葉は簡潔で力強い言葉で歌い上げています。
「汝逞しくあらんと欲せば/次に告げるところを聞け/心を圧す憂いを捨てよ 怒りとは/賤しきことなり、聞けよ/僅かな食べ物のみを摂りて/強き酒には心せよ/食し終えたらば好んで立ちあがれ/真昼の眠りを控えよ/尿を長く堪えることなく/腸に動きを感ぜぱ、これに従え/我汝に教えるそのまま行なえば/長き人生を旅することならん。」
養生法の原理として「医師よりも良きものは三つの原則、つまり安静、明朗、節度」でそれに関する生活や食事の戒めの詩が続いています。その中でも養生生活の格言として独立して、諺として現在まで伝わっているものも数多くあります。
例えば「食事の後は憩うべし/さも無くば1千歩を歩むべし」「入浴、葡萄酒、性愛は/我々の身体を滅ぼす。/しかれども生命を作るのは入浴、葡萄酒、性愛なり」。
このサレルノ健康規則はまた旅行用と船乗り用、老人用等も作らていました。
戦前戦後を通じて最も大衆的な広がりと知名度をもった健康法といえば西勝造が提唱した西式健康法です。
子供の頃から病弱で、20才まで生きられないと言われ医師にも見放された事から、発起して16才から研究を始め、37才の時に西武健康法の六大法則を完成して、世間に広く受け入れられました。
この六大法則の三番目の法則に「金魚運動」がありますが、これは現在もこの運動機器が広く普及しています。
まず、第一に脊柱を正し内臓機能を高める「平床寝台」。つまり硬い床に寝る事を勤めています。
第二に頚椎を守る為の「硬枕利用」。
第三は胃腸を整える為の金魚運動。
第四は血液循環を高める為の「毛管運動」。
第五は身体の友右の手足の神経や筋肉の状態を整える「合掌合蹠法」。
そして最後に座して背筋を伸ばし「良くなる。能くなる。善くなる」
と念じながら左右に身体をゆすりながら腹を前に突き出す「背腹運動」があります。
また、健康法の四つの基本原則として、第一に皮膚を鍛える事が重要として裸療法と温冷浴を勧めています。
第二に食養として生水の常用、生野菜食、朝食の廃止を唱えています。
第三は四肢の内の足の健康を重視、そして最後はこれらを統括する精神の力を挙げています。
西勝造は医師では無く土木技術者でしたので、当時は医師の側からかなり批判を浴びましたが、政財界の多くの著名人が支持して、西の豊富な医学的知識に裏打ちされた著作により、それらの声を圧倒しました。
戦後も西式健康法は現代医学との対決姿勢を明らかにして、独自の養生法を提唱しつづけて、更にその理論を継承した後継者たちが西医学研究所と診療所を開き現在まで続いています。
養生という言葉は道教の神仙術の養生法から生まれましたが、この神仙術では呼吸を養生の要として考えています。
「胎息」「服気」「行気」「錬気」などの呼吸の技法があり、全てを包摂して「調息」と呼んでいます。
そして、呼吸して身体に流れるものが「気」であり、それは「内気」と「外気」に分けています。
内気は元々母親の体内から臍帯を経て胎児に充満していく呼吸をいい、「胎息」といいます。
ですから、神仙術では「臍」を大切にしているのもこの「胎息」があるからです。
また「外気」とは、体外にある気の事になります。
調息の中の「服気」は「内気」を飲み込む事で、普通の呼吸で一緒に出て行きそうな内気を三つの丹田に満たす呼吸法です。
その丹田の内気を自分の望む体の部分に到達させる技が「行気」です。「錬気」は行気とは逆に体の内気を自由に流れに任せるやり方です。
そして道教では、外気を鼻から吸いこみ口から吐き出す普通の呼吸を、気が鼻から腎臓に下りて行き、五臓と六腑を巡るといいます。
ところが、修練していない普通の人々は関所の源(関元)を通り抜ける事ができないので、気はそこで止まってしまう、といいます。
そこで養生の修練で関所に気を通し、臍下三寸にある下丹田、もしくは「気の海」(気海)にそれを導くようにする事が、外気を巡らす術になるのです。
この修練をする時には、宇宙が空気を吸う時の時間である「生気」でやるべきで、宇宙が空気を吐く時の「死気」の時間には修行してはならないと書かれています。
この生気と死気の時間については2つの説に分かれるところです。
昼間を死気、夜を生気という説と真夜中から正午まで生気で死気は正午から真夜中までとする説です。
ですから、日の出の直前はどちらの説でも生気の時間内であり、日没も生気に入れるかどうかが意見の分かれるところです。
日本では江戸時代中期から後期にかけて養生に関する本が沢山出版されています。
病気の予防や改善、栄養、育児等に関する知識を一般に向けて優しく説いた物が多く、日本人は古くから養生本が好きな様です。
その多くの養生書の中でもその大元にあると考えられる本が貝原益軒の「養生訓」で、杉田玄白を始め、多くの医師や学者に影響を与えています。
現代では’01年の始めにNHKの人間講座で取り上げられて再評価されています。
いわば現代につながる東洋的養生の考でしょう。貝原益軒は儒者であり医者であり、薬学者でもありました。
本人自身は病弱な体質だったようですが、人生も80代になってから「養生訓」を始め旺盛な仕事を残しています。
つまり自らの身体で実証した経験則が養生訓でもあるのです。
益軒は幸福は人生の後半にあるのだから養生に勤めて老いを楽しまなければならないといいます。
この養生訓は8巻からなり、朝起きての身繕いの仕方から寝る姿勢まで実に細かく養生法を語っていますが、「べからず」ばっかりの禁欲的な堅苦しさだけの教えではありません。
あくまでも人生を楽しむ為の養生なのです。
益軒は人間の根本は「気」であり、その気の滞りが病気を呼び、元気を減らすと考えているのですが、この考え方はヒポグラテスにも通じるものがあります。
養生訓全体に渡って最も強調されているのが、「身を動かし、気を巡らす」という事です。
「心は楽しむべし、苦しむべからず。身は労すべし、やすめ過すべからず」とする教えは決して古くはない、現代にも通用する養生法だといえるでしょう。
小腸は全長約6mのうち十二指腸が約25cm、空腸は前2/5ほどで回腸はその後3/5ほどを占めていますが、空腸・回腸の境界はあいまいで鮮明ではありません。
腸管壁の厚さは下部にいくほど薄くなり、粘膜ひだも十二指腸下部から空腸上部にかけてよく発達していますが、その後は次第に薄くなっていきます。
しかし小腸の免疫機構は空腸から回腸下端にいくほど発達していて、小腸のあちこちにあるリンパ小節が下部小腸では集合して発達し、集合リンパ小節(バイエル板)を形成しています。
さて消化は胃で行われると思われがちですが、胃ではタンパク質のごく一部の消化が行われるだけで、食物を胃液と混ぜてドロドロのかゆ状にする機械的作用が主です。
消化のほとんどは小腸で行われ、小腸粘膜の輪状ひだには無数の絨毛があって小腸管の表面積は膨大なものとなりていますが、絨毛の上皮細胞にはさらに細かな微小絨毛が密生しています。
この微小絨毛の表層に種々の消化酵素が含まれ、豚臓で分泌された酵素も細胞膜表面の糖皮に吸着されていて消化に役立っています。
小腸の管腔内で漂っている酵素と接触して消化されるのはごくわずかで、大部分の消化は微絨毛上皮の細胞膜に密集してうまく分布配列している消化酵素によって進められます。
こうして効率よく最終段階にまで消化が進められ、分解されて生成したアミノ酸、単糖類、脂肪酸、グリセロールはただちに吸収過程に送り込まれる仕組みになっているのです。
胃がんは早期発見、早期受診で治癒率が非常に良くなっています。
しかし定期的に胃がん検査を受けているにもかかわらず、見つかった時には既にがんが非常に大きくなっていて手遅れだったという胃がんがあります。
テレピタレントの逸見致孝さんが自分のがんを発表してわずか3ヵ月で逝った原因もこのスキルス胃がんでした。
ほかのタイプの胃がんが潰瘍形成や浸潤の形態をとって内視鏡等で発見されやすいのに比べて潰瘍形成も無く、周囲粘膜との境界もハッキリしないので見つかりにくい上に、進行や転移が非常に早いのです。30代や40代の若い人にも多いのが特徴です。
また胃がんその物は女性より男性の方が多い(10:6)のに、このスキルス胃がんに限っては女性の方が多く(10 :11)、女性ホルモンが関係しているのではないかと見られています。
欧米ではスキルス胃がんは手術しない事が多い様ですが、日本では手術と合わせて化学療法を術前にも行う等の方法が行われています。
手術ができる場合には胃全部の他にすい臓、肺臓、胆嚢、副腎、横行結腸までも切除する拡大手術が比較的に有効とされていますが、治癒率は非常に低いのが現実です。
早期発見が難しいとはいえ、胃がんの検査をするのであれば、毎年同じ場所でレントゲン写真を比較してもらって胃が縮んでいないか調べてもらう事も早期発見につながります。