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メンタルの記事一覧
寝たきりは二人の患者を作ると言われます。つまり介護する人も病気になってしまうと言う事です。
被介護者は穏やかで思いやりがあり介護者に対して感謝の気持ちを持っているとは限りません。
例えそうでも介護者には大変なストレスがかかってきます。
まして我がままで気難しい被介護者の場合は介護者に大変なストレスがかかります。
さてストレスの実験に「お目付け役のサル」と言う動物実験があります。
この実験では2匹のサルをお互いを見る事が出来、話しも出来る状態で座らせます。
1匹のサルには電気ショックを与える様に、もうl匹のサルにはレバーを与えますが、そのレバーを引けば目の前のサルの電気ショックをオフにする事が出来る様にしておきます。
つまり、レバーを引く事でもう1匹のサルの不快を救ってあげられるのです。
ただし、この電気ショックは非常に微弱で、少し不快になる程度に設定されています。
しかし、レバーを操作するサルはその事が分からないので、相手の表情等からその不快さを想像する事になります。
この実験は2匹のサルの不安感がどの程度のストレスになるかを調べる為に考案されたものです。
この実験の結果、片方のサルの腸管に見事に潰瘍を作る事に成功しましたが、この時潰瘍が出来たのは電気ショックを受けた方のサルではなく、レバーを持たされたサルの方でした。
このサルは仲間を電気ショックから救わなけれぱならないと言う責任を強く感じた為に、潰瘍になったと推量できます。
この実験でも明らかな様に介護の問題でも言えるのですが相手の状態を正確に知る事がいかに重要であるかと言う事です。
カウンセリングにおいて現在も影響力のあるのがアメリカの心理学者カール・ロジャースによる「来談者中心」と言う、非指示的なカウンセリング理論です。
それまでのカウンセリングは、何をすれば良いか、指示された課題を毎回こなし、その変化を見ると言う指示的なやり方でした。
彼は最初の頃、児童相談所において多動症の子供を持った母親を受け持ったとき、指示的なカウンセリングをしていたのですが、効果が出ませんでした。
その時、母親は自分の悩みや問題について話始め、それが子供に影響している事を母親は感じていたのでした。
その母親の問題を解決したら子供も落ち着いて来たのです。
その出来事が「あれこれアドバイスをしたがカウンセラーが考えているよりもはるかに深い問題をクライエントは知っているのだ」と言う事に気付かされたのでした。
「人間は成長力を内に秘めていて、自分の問題について自分が一番よく知っているのだ」として、カウンセラーが主導権を握るのは危険と考えたのです。
カウンセリングはクライエントの内的な問題を大切にする事で、その為に共感的理解、自己一致、無条件の肯定的配慮と言う態度が必要であると考えたのです。
中高年女性の患者さんが訴える症状には、頭痛・肩こり・腰痛・関節痛・神経痛を始め、のぼせ・多汗・動悸・冷え・めまい・便秘・不眠等の自律神経失調症が多数を占めています。
40歳以上の女性が訴えるこれらの不定愁訴の多くは更年期障害だと考えられますが、患者さんは身体の不調は訴えても不安感やうつ・イライラ等の精神症状についてはなかなか伝えてくれないものです。
更年期障害の最も大きな原因は、卵巣機能の低下による女性ホルモンの分泌減少と言えますが、更年期は女性のライフサイクルから見ると、子どもの就職や結婚、老親の介護や死、夫の定年など心理的・社会的な変化やストレス、が非常に大きい時期に当たります。
子どもの巣立ちによる空疎感から起きる空の巣症候群を始め、閉経で女性では無くなったと言う疎外感、老いて行く将来への不安等、抑うつ感・無気力感や様々な心の症状が起きてきます。
頑固な身体症状がなかなか取れない、あるいは一時的に良くなってもすぐまた悪化を繰り返す様な場合、背景に心の問題が隠されている事が多いのです。
身体症状に惑わされて更年期のうつ症状を良逃してしまうと、そのまま老年期のうつに移行して重症化する危険があるので要注意です。
患者さんに心の問題を察知した場合には、心療内科や神経科での受診を勧める事が必要かもしれません。
ゲシュタルト療法は精神分析医のフレデリック・パールズが提唱しました。
その元になったゲシュタルト心理学は形態心理学とも言い、人間は外部の世界をバラバラの寄せ集めとして認識するのでは無く、意味のある一つにまとまった全体(ゲシュタルト)として認識しているという考え方です。
ゲシュタルト療法はその考え方を元に、患者さんの主体性を尊重した自らの「気づき」(Awareness)に着目しています。
この「気づき」を促す為に、精神と身体の関係性に着目して、言葉だけで無く身体表現を療法に取り入れて発展させて来た事が特徴です。
この「気づき」を以下の3の領域に分けています。
身体の内側で起こっている感情、痛み、呼吸、姿勢等を意識化する「気づき」、身体の外部で今実際に起こっている事を視覚や聴覚や触覚など五感を通して感じる「気づき」。
そして頭の中で起こる想像、空想、思考や記憶が心の不安や悩みを引き起こしている事を自己洞察して、「なるほど、そうだったんだ」と納得する3つめの「気づき」です。
ゲシュタルト療法はこの3つの気づきによって、身体と心の全体性を確認して「今、ここ」をあるがままに受け入れる様にサポートします。
そのプロセスでは演劇、夢、自己との対話の技法など様々な技法が応用されます。
内観とは吉本伊信(1916~1988年)が考え出した自己探求のやり方です。
内観には教育的な自己啓発と心の病を治す心理療法の両面があり、それぞれ内観法と内観療法と言います。
元々吉本自身、若い時から浄土真宗に傾倒し、厳しい修行(身調べ)の経験の中で阿弥陀仏によって生かされているという、深い宗数的な歓喜の体験をしています。
その体験(身調べ)は他力本願の浄土真宗では異端としているそうですが、自分の使命として多くの人にも同様の体験が出来ないものかと言う事から内観という方法が考え出されたのです。
それが心の病のある人達にも大変効果がある事が分かって来て、次第に心理療法の一つ、内観療法として認められる様になったのです。
内観のやり方は、基本的には過去の自分の歴史をたどり洞察して、新たな自己を発見する事が目的になります。
その中心になる発見は、愛されている自分、自己中心的な自分、そして問題や症状の原因になった事等です。
内観療法では、その人が今まで関わりのある人間関係の中から、人から世話になった事、人にしてあげた事、人に迷惑をかけた事の3点の具体的な事実を過去から現在まで年代を区切りながら詳細にたどっていきます。
過去から現在までの自分の歴史の中で「自分がいかに多くの人々の協力や愛情によって成長して来たかが自覚され、自分が不幸であると言う感情から解放され、高慢な気持ちが消え、感謝の気持が湧き、他者への奉仕の気持ちが生まれて来る」様に促していきます。
心と体の筋肉を弛緩、解放させる事で自律神経系の安定をもたらす方法としてリラクセーションがあります。
その技法には色々ありますが、筋肉のリラックス、呼吸法、瞑想の3要素が大切になっています。
静かな室内で椅子に深く腰を下ろし、衣服を緩め、ゆっくりと筋肉の力を抜いて行きます。
日頃、緊張し身構えている状態が続くと全身の筋群は収縮していますが、この状態の人にいきなり、力を抜くように言ってもどうして良いか分かりません。
その為にそれぞれの筋肉をストレッチする事で身体を感じ、次に足の指、脚、腰、背、首と体の隅々にまで意識を向けさせ、身体を気付かせるのです。
この様な方法で無理な場合は逆に筋肉を緊張させて、その緊張の感覚を味わいながら力を抜き、その緊張がほぐれていく感覚から力が抜けるという感触を得る段階的リラクセーションという方法もあります。
筋肉をリラックスする事で、大脳皮質の覚醒レベルが鎮静化して緊張や興奮を下げるのです。
次に呼吸は息をゆったり吐きながら、吐く息に意識を向けます。自律神経は自分の意志でコントロールする事は出来ませんが、この中で意図的に操作する事が出来るのが呼吸なのです。
その呼吸をゆったりしたリズムで行う事で、身体の興奮を静める事が出来るのです。
その時雑念や想念を無理に追い払おうとせず、意識を吐く息に注意を向けるようにします。
雑念が浮かんでも意識を吐く息に向ける事を繰り返す事で、全身の緊張が緩んで行くのです。
その効用は精神的に不安定な時でも精神統一、冷静へと容易に切りかえる事が出来る様になり、ストレス、不快感、イライラ、敵意を抑制でき、心身症や神経症にも効果が期待出来ます。
整体院にいらっしゃる患者さんの中にはストレスが身体症状を表す心身症の患者さんは多いものです。
はっきりとした神経症やうつ病では専門の受診か必要ですが、心身症ではストレスのコントロールが大切になります。
心身症と神経症との違いは、心身症もストレスによるものとは言え、検査などによって異常が見られるものですが、神経症は医学的な異常が見られないのに身体症状が続くものです。
心身症は社会に過剰適応した状態である反面、自分の感情には気付きにくい失感情症的な傾向があります。
多くは頑張り屋さんで、感情を表に出さない事に満足感や安心感があります。感情を表に出す事を恐れていると言い換える事も出来るでしょう。
こういう患者さんには「ストレスがありますか」と聞いても否定的な答えが返って来ます。むしろ「疲れていますか」と言う様な問い掛けによって患者さんのストレスが浮き彫りに出来るでしょう。
こうした患者さんには始めから感情に的を絞ったような接し方ではなく、まずリラクセーションの方法を学んでもらう事が第一です。
呼吸法や自律神経訓練法等を学んでもらって身体の緊張を自覚してもらうのです。
それによってストレスに自覚的になり、身体症状がそのバロメータになっている事が理解されていきます。
高齢者は、身体機能が低下して病気になりやすくなります。
また、配偶者や友人との死別、子供の巣立ち、定年退職、家庭での役割の変化等人生で得た色々なものを徐々に失っていきます。
健康、経済的基盤、人間関係等が喪失する老年期は、この為に自らが無力化していく状態を感じやすいのです。
この状況が大きなストレスとなり、心の変化として現れることがあります。
不安や寂しさから、自慢話、昔話、愚痴等の話をしたがる、頑固になり自己中心的にもなる、被害者意識が強くなり、ひがみっぽくなる等。
この心の変化が身体にも影響し、めまい、頭痛、肩こり、不眠等の自律神経症状や、循環器系、消化器系、呼吸器系など非常に多様な症状が現れて心身症になる事があります。
高齢者は心の底にある死への不安から、体の状態に強い関心を持っているので、コミュニケーションをとる場合はその心理状況を踏まえて配慮する事が大切になります。
また高齢者の中には自分を大変低く評価し自信を無くしている人があり、「私の様な年寄りの話はつまらいない事ばかりで、聞いて貰っても対して役に立た無いだろう」と思い込む場合もあります。
話しをする時は、相づちを打ったり、話しを要約して返したり、相手の感情を正確に把握して、その感情を言葉で返す等、聴き手が関心と敬意を払って白分の話を聞いてくれていると感じれる事が出来れば、それが患者さんの生きる自信を持つ事に繋がります。
心の病いを診る「精神科」は精神医学を基礎とし、人間の心に起こる思考・知覚・感情・意欲等の異常を取り扱い、その原因を探って改善や予防を図ります。
また「神経科」は神経学を基礎として、神経系の器質的・機能的な障害について診ます。
分野を分けてはいますが隣り合うもので、脳の器質障害によっても精神症状は現れるし(老人性痴呆等)、精神病とされて来たものでも脳や神経系の異常が原因だと分かって来たもの(てんかん等)があります。
研究が進むに連れ「脳神経外科」「神経内科」「心療内科」等の専門科が生まれ方法も細分化されてきました。
受診する時は迷うところですが、病院によっては神経科でも広く精神障害を扱っている事があります。
精神科ではまず艮く時間をとって問診を行い、どんな症状でどれ位続いているのか詳しく聴きます。
精神症状の背景に器質的なものを疑う場合は、脳波やCTスキャン等の検査をします。
本人が上手く自分の症状や悩みを訴えられない場合には心理テストを行い、精神年齢や記憶力等を調べる知能テスト、クレペリンなどの作業能力テスト、ロールシャッハ等の性格テスト等で、その人の長所や短所や価値観を考慮して方針の参考にします。
主流となるのは薬物療法で、症状に応じた抗うつ薬・抗不安薬・抗精神病薬等の向精神薬で症状を軽減します。
病気の抑制や再発防止の為に精神療法を始め作業療法や生活療法等を組み合わせて行くのが、基本的な形です。
ストレスは病気を引き起こしますが、病気も又ストレスになります。
痛みや疲労感、吐き気、麻痺等の身体的な不快感はもちろん、経済的な不安感や病気による生活の変化もストレスとなって病状に影響します。
特に高血圧や糖尿病を始めとする生活習慣病は慢性病であり、それによるストレスも大きいものとなります。
まず患者さんはこんな病気になってしまった事自体を受け入れられないものです。
しかも食事制限や運動をしなければならない事や、ずっと薬を飲み続けなければなら無くなったと言う事態も激しいストレスになります。
とは言ってもこうした長期にならざるを得ない病気を、いつまでも拒否する人と、病気と共に生きようと前向きに捉えた人とではそのストレスを感じる度合いは違って来ます。
いつまでも拒否的でいる人は病気の知識を得る事も、セルフコントロールの方法を学ぶ事も拒みます。
しかしこうした拒否の態度は単に病気を受け入れられない事だけで無く、こうなった自分の状況への怒りや情けなさの感情が強く働いている事が多いものです。
こうした患者さんに対しては指示よりも、患者さんの気持ちを理解し、苦しい状況に対する共感的な交流を図る必要があります。
患者さんが自分の状況を受け入れた時、自律的なセルフケアが始まります。