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メンタル - Part 2の記事一覧
カウンセリングにも色々な理論がありますがその一つが交流分析(T A : Transactional Analysis)と呼ばれる方法です。
TAは精神分析の口語版とか普及版等と言われ、カウンセリングだけで無く、教育や産業の場で広く応用されている理論体系です。
基本的にTAは今、こここそが大切で、過去や他人は変えられ無い、変えられるのは自分なのだと言う事を原則にします。
人の欲求として、まず心の栄養とか承認されたいと言う欲求(ストローク)を持ち、他人とのストローク交換を求める物であるとします。
その他人とのストローク交換が交流であり、そのパターンの分析やゲーム(対人関係の中で繰り返される悪い癖)の分析、等を通して自立性を得る事を目標にしていきます。
その分析に先立って、自我の状態を目に見えやすくグラフ化したものがエゴグラムと呼ばれるものです。
基本的に“私”には
親(P=Parent)厳格な親の心
優しい親の心
大人(A=Adult)理性的な心
子供(C=Child)わがままな心
天真爛漫心
の自我状態があって、これを自分でチェックし、グラフ化する事で自己のパターンに気付き、より良い自分へと変容して行く力とします。
この交流パターン分析、ゲーム分析等は先生と患者さんとの具体的な場面で効果的に応用出来るでしょう。多くの入門書や書籍が出ているので参考にしてください。
森田正馬(まさたけ)の森田療法は、19世紀から20世紀に日本の社会が激しく変化して、日本の伝統的価値観が大きく揺らいだ「不安の時代」の中から生まれています。
森田自身も20歳の時に不安発作を体験し、それから24歳で帝大医学部に入学するのですが、ずっと神経衰弱に悩まされていて、それを独自の方法で克服していきました。
そうした自己の問題もあり精神医学の道を歩み始めて、1919年に出版して森田療法が完成したのです。
不安や対人恐怖や強迫観念等の神経質症状に対する森田療法は独創性があり、本人は否定していますがその独創性の根底には老荘思想や仏教や東洋的な死生観があると指摘されています。
現代も「不安の時代」と言え、今でも世界的に広く注目されている療法です。簡単に言えば、自己を拠り所にして、有るがままの自分を認める為の技法と言えます。
森田自身が言っている様に「我々の身体および精神の活動は自然の現象である。人為によって左右する事は出来ない」だからこそ自然に逆らわない、有るがままの生き方を自己を拠り所にして受け入れる事が必要だとしています。
不安や恐怖から逃げようとするので無く、それとしっかり対峙する事を勧めています。
不安や恐怖心は丁度人の影の様に逃げれば逃げるほど追っかけてくる。立ち止まってじっと影を見続ける事で、次第に「煩悶期」から「煩悶解脱期」そして回復して行く「退屈期」に移行するとしています。
厳密な森田療法は入院療法ですが、現在は外来で森田療法を行ったり、カウンセリグのやり方にとり入れられたりしています。
人は社会的なシチュエーションによって様々な役割を果たしていますが、病気と言うのも一つの役割を持たせる事になります。
アメリカの社会学者のパーソンズによると、人が病気になると病者になり“病者役割”の行動パターンが出来ると言います。
まず病者は健康な人が果たしている社会的役割を免除されます。仕事や家事等が出来ない=しなくて良い事になる訳です。
ここからある種の依存が生まれる事になりますが、人によってはその依存状態になる事を拒否したり、反対に居心地良く感じる為に健康になりたく無いという感情が生まれる事もあります。
しかし基本的に病者は病気を治して健康になる努力をする事を回りから求められます。
その為には受診しなけなければなりませんが、医療を受けるという行為の中で、病者は患者になり、今度は患者役割を果たす様になるのです。
つまり病者イコール患者でなく、病者が医療の中で先生と向き合った時に患者役割の行動となる訳です。その時先生一患者の関係は、能動一受動、指導一協力、相互参加、サービス提供者一消費者等の様々なパターンをとります。
整体院に来る患者さんは。どの様な病者役割の患者さんなのか、患者として施術者との関係をどんなパターンで望んでいるのか、両者の役割の捉え方にズレを無くす事も患者さんの心のケアにとって大切になります。
心の悩みを一人で抱えきれなくて誰かに相談する時にいくつか選択肢がありますが、選ぶには注意が必要です。病院以外にも心理カウンセラーによる「心の相談室」と言った物から伝統的な寺院や教会、果ては新興宗教所やオカルトじみた講習会まであります。
最近の日本ではカウンセリングが一つのブームになっていて、アメリカの心理産業の市場の一部になっています。
確かに心の相談室や新興宗教でも、精神分裂病等の精神病は全く治せないものの、神経症等の治り方にはある程度の実績があったと精神医学会で報告がありました。
では神経症なら心理カウンセラーに、精神病なら精神科医に任せると言った振り分けが出来るのかと言えば、これは難しい問題で、一人の患者が神経症か精神病かと言う事を見分けるには、顕著な例を除いて精神科医でもある程度の時間の経過が必要です。
また症状が軽いから神経症、重いから精神病と言う単純な物ではありません。
心理カウンセラーが最初から心理的な問題だとみなして、心の悩みを持つ人に心理療法を延々と継続するのは、危険な事態になる恐れがあります。
心の悩みは必ずしも心理上の理由で起きるとは限らず、隠された精神病で投薬が効果的な症例の場合、時期を逃して症状を重くさせたり必要以上に長引かせたりする事があるからです。
また身体の他の病気からも精神症状は起きるので、総合的な医学知識と診断力が必要です。
転移と逆転移は簡単に言えば精神分析や心理療法のカウンセリングの中で起こる患者さんと先生との間に相互無意識に生まれる投影という現象です。
例えば、先生に対し患者さんが父親や母親に対する思いを転移したり、先生が異性である場合には、先生に対して恋愛性の転移が生じたりします。
逆に、先生自身の患者さんへの転移も同じ様に起こる事があり、それを逆転移と呼んでいます。その場合、患者さんに対して愛憎の感情か湧き起こり、それに振り回されてしまう事も起こります。
この転移と逆転移は精神分析では先生と患者さんとの関わりの中で、その心の問題に触れる事によって起こり、その転移をどれだけ分析出来るかが改善の成否であると言われています。
また心理療法特にユング派では、転移や逆転移は必ずしも起こる必要は無いと考えられています。
最も必要なのはラポールであるとしています。このラポールとは情緒的な疎通性、平たく言えば共感や信頼性です。
このラポール(情緒的疎通性)が生まれ無いとしたら、両者が共有する象徴が無いとか、一方かあるいは双方が疑いを持ったり、先生側の想像力が無い為だとしています。
その時に転移や逆転移が生じるとしています。我々の仕事上でも先生に対して患者さんの中で無意識に何かを投影するケースかあり、先生の役割としてそれを客観的にかつ理性的に対応する事が重要な訳です。
様々なカウンセリングの中で、どのカウンセリングでも重視されているのが“共感”という事です。
共感とは相手の気持ちと同じ様な感情を持つ事ですが、実はこれが生やさしい事ではありません。
特に先生と患者さんと言う関係の中で、例えば患者さんがその病気の元になっている行為(過食や喫煙、運動不足等)を変える必要がある場合でも、先生が良かれと思ってする助言等も、一方通行になりがちです。
しかし患者さんの心が癒され先生に対して心を開くには共感してもらった事による心理的な安心感がベースになります。
とは言っても、先生が患者さんに対して共感しようと努めても、どうしてもまず診断や評価、解釈、分析をしたくなって性急に意見を言いがちになります。
また必ずしも相手に共感出来ない場合には、先生の心にブロッキング現象が起こります。
ブロッキング現象とは、会話しているのに相手から気持ちがそれ、他の用事や時間が気になったり、不快になったり、怒りを感じる等、相手に対して拒否的な心の状態になる事です。
先生は相手の話を聞く時には、とりあえず自分の考えや思いを意識的に脇に置いてブロッキングが起こら無い様に心がけなければなりません。
ブロッキングする事無く患者さんの言葉を根気よく傾聴し、相手の言葉のポイントを共感的に繰り返したり自分なりに要約して、共感していると言う事を患者さんに伝えます。共感されていると言う気持ちが伝わる事で、患者さん自身が抱えている問題に自分で気付く様になるのです。
現在は重篤な問題飲酒者で無くても、将来に危険性をはらんだ問題飲酒予備軍は2割近くもあると言う報告があります。
アル中と言えば幻覚やせん妄、痙撃等の恐ろしいイメージがあるので、そのイメージに照らせば「自分はアル中では無い」と、かえって問題飲酒を見えにくくしている面がある様です。
自覚のないアルコール依存症者は、・酒はいつでも止められる・仕事等で飲まざるを得ない・多くは飲んでいない・禁断症状が無い・暴力的ではない、等の理由で自分の飲酒の問題を否定する傾向があります。
しかし、アルコール依存症は不可逆的に進む病気で、生活に支障が出たり身体的に離脱症状や幻覚が表れるに至っては末期と言えます。
自分に対する問題飲酒の否認は病気そのものだと認識しなければなりません。
つまりアルコール依存度は、飲酒の機会や量を抑制したりコントロール出来なくなった主観的状態が問題なのです。
・飲む量を減らさなければならないと思っている・飲酒を注意されて腹を立てた事がある・飲酒に後ろめたい事がある・朝酒や迎え酒をした事がある、に2つ以上該当すればアルコール依存症の危険性大です。
また身体的な理由(糖尿病等)や社会生活上(仕事や運転など)飲んではいけないのについ飲み続けるというのは既にアルコール依存症です。
人口に対する高齢化により、成人一人当たりの酒の消費量は減少傾向にはありますが個人差もありますので個別の注意が必要です。
アルコール換算で1日に150ml(日本酒なら5合半)の常習飲酒は大量飲酒者といい、全国で240万人はいるとみられています。
厚生労働省ではこれらの人達をアルコール依存症予備軍だとみなしています。
PTSDは、「(心的)外傷後ストレス障害」と訳され、地震などの自然災害や大きな事故、レイプや強盗などの犯罪被害、テロや戦闘体験などの出来事に曝された精神的後遺症です。
阪神淡路大震災のような大災害でなくても、家庭内暴力や虐待なども原因になります。
その症状には
①出来事の不快な記憶が繰り返しよみがえる再体験症状
②出来事について考えたり話したり、思い出させる場所や品物を極力避けようとする回避症状
③いらいらして怒りっぼく、眠れなくなり、物事に集中できないなどの覚醒昂進症状
があります。これらの症状が1ヶ月以上続けばPTSDで、1ヶ月以下の場合は急性ストレス障害と診断されています。
PTSDの療法にはSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などの抗うつ薬や抗不安薬による薬物療法や、認知行動療法などさまざまな療法が行われています。
面白い療法にEMDR(眼球運動による鋭感作と再処理法)という、心的外傷場面を思い出させながら眼球運動を行うことで苦しみを与え続ける記憶を普通の記憶と同じように再処理するという療法があります。
1989年にフランシーン・シャピロが考案したものです。
単純な方法にも関わらず、PTSDをはじめ恐怖症、反応性うつ状態、パニック障害など外傷的記憶が関係する病気を、短期間かつ高率で改善できたとする報告があります。
EMDRのメカニズムは大部分がまだ仮説の段階ですが、急速眼球運動が情動に対して非常に大きな影響力を持っていて、不安を制止するという説などが有力です。
様々な情動を引き起こす中心的な役割を担っているのは脳である事は間違いありません。
例えば、大脳生理学者ウォルター・ヘスは、猫の視床下部の各部位に電気刺激を与え、攻撃行動や逃避行動などの情動行動を引き起こし、更にそれに伴う自律神経系の反応を起こす事でノーベル賞を与えられました。
情動研究の父と呼ばれているウイリアム・ジェームスは約100年前に「情動体験は刺激により誘発された身体変化を大脳皮質が認知する事で起こる」と考えていました。
脳の刺激だけで情動が起こると言うヘスの実験で、この考えは否定されたかの様に見えます。
その事で、興味深い報告があります。
癌の改善の為に片側の交感神経を切断された患者さんが、好きな音楽を聴いた時、切断されていない側では以前と変わらない身体から沸き起こる感動を感じたのですが、切断された方の側では感動を感じ無かったと言います。
つまり、身体の変化を伴わない情動は、本当の情動反応では無いと言えます。
つまり、音楽等によって引き起こされる、身体に起こる興奮と大脳皮質が関与する認知が結びつく事で、感動が生まれるのです。
人間の情動反応は動物に比較してより高次の物が多く、人間の「心身一如」という心と身体の微妙で密接な関係を知った貴重な報告です。
不安や恐れ、怒りなどの感情の変化は相手の目をみる事で本能的に察知する事ができます。
犬嫌いの人が犬に吠えられやすいのも、目に恐れや不安が出る為に、犬に威嚇されると言います。
ところで、目だけでなくまばたき(瞬目)の回数が心理状態を反映しているという研究があります。
例えば、ストレスを強く感じている時は、まばたきは多発する傾向があります。このまばたきの回数が多ければ、それを見た人に神経質な印象を与えてしまいます。
1988年の米国大統領選挙前のテレビ討論で、互角の戦いをしていたデュカキスとブッシュの瞬目率を比較した心理学者トエッツがブッシュ有利の予想を新聞に書きました。
その予想は当たっのですが、ブッシュの方が瞬目率が低く落ち着いたイメージを与え、デュカキスは神経質で不安なイメージを有権者に与えた事が勝敗の分かれ目だと分析したのです。
また、トエッツは感情(快、不快)と注意の方向(外的一内的)の2要因が瞬目率に作用すると言う仮説を提唱しています。
それによると快感情と外的注意が瞬目を減少させ、不快感情と内的注意は瞬目率を増加させるとしています。
患者さんの瞬目で改善法に対する効果も分かるといえます。ちなみに、通常のまばたきは、日本人では、リラックスしてぼんやり正面を向いている時は1分間に平均20回です。