- Blog記事一覧 -2月, 2021 | 伊勢原市笠窪 鶴巻温泉治療院 - Part 3の記事一覧
2月, 2021 | 伊勢原市笠窪 鶴巻温泉治療院 - Part 3の記事一覧
筋肉疲労を説明する時に、疲れの物質として代表的なものとして乳酸をとりあげています。
この乳酸は筋肉のエネルギー代謝の過程でブドウ糖を分解する時にピルビン酸になるのですが、昔は、この乳酸からはエネルギーを作る事ができないので、乳酸は筋肉内から血中にながれ、肝臓でブドウ糖に変換され、再度エネルギーとして使用されるというのが一般的でした。また、乳酸が筋肉内に残ると疲労感が伴うとも説明していました。
しかし、乳酸の肝臓での代謝のされ方は、運動時も運動後にもたいして重要ではない事が明らかにされたのです。
確かに乳酸は肝臓でブドウ糖に代えられますが、それはあくまで安静時の時の事で、運動中の肝臓に流れる血液流量はかなり減少するので、糖を作る能力は低下しているのです。
東京大学の八田秀雄氏は、運動中や運動後の乳酸は主に酸化されているという新たな知見を述べています。
それによると運動量が増えると速筋も動員されるのですが、乳酸が作られるのはこの速筋においてです。
心筋や骨格筋の遅筋線維では、乳酸はピルビン酸に戻され、ミトコンドリアに入り酸化されます。
つまり、乳酸は作られたら溜まるだけの単なる老廃物ではなく、遅筋で使用されているというのです。
確かに、糖を乳酸にするだけではエネルギー的に非効率であり、これを肝臓で糖に戻すには余計なエネルギーを消費する事になり、合理的で無駄のないシステムである人体の機能を考えるとおかしなことなのです。
そして乳酸をピルビン酸にする乳酸脱水酵素は心筋や遅筋に多く存在して、ミトコンドリアに接して存在するという報告も出ているのです。
特に心筋では血中乳酸濃度が高くなると必要なエネルギーの多くを乳酸の酸化で得ています。このように乳酸の働きに関して新しいデータが出てきています。
乳酸は単なる疲労物質という説明は変わってきました。
ウォーキングは最も安全な運動として高齢者にも薦められますが、本当はウォーキングだけでは不足です。
日常的にウォーキングをしている高齢者を調べた結果、みんな息切れなく歩く事はできても、下肢の筋肉、特に大腿四頭筋の大きさにはバラツキがあって、かえって平均よりも劣っている人もあったといいます。
大腿四銀筋は加齢によって最も影響を受ける部分で、80歳では30歳時の40%にまで低下します。
しかもこの大腿四頭筋は膝の屈伸や立ったり座ったりするのに重要で、高齢者の多くにみられる膝のトラブルはこの大腿四銀筋力の低下が大きな原因になっています。
ウォーキングは心肺機能や持久力を高め、高血圧などの循環器疾患や肥満、糖尿病などを改善する事は確かなのですが、筋肉への負荷としては不十分なのです。
筋肉を強くするためには最大筋力の50%以上の負荷をかける事が必要です。しかしウォーキングでは最大筋力の20~30%しか使われません。
この位では筋肉は強化されず、筋肉は衰えてしまうのです。QOLを保つ為にも高齢者こそ筋トレが必要といえるのです。
高齢者は様々な疾患を抱えているので、どの筋トレが良いかは一概にいえませんが、高齢者向けのマシン等も開発されてきているので、これからはきめ細かい高齢者の筋トレが浸透していくはずです。
高齢社会のキーワードに“サルコペニア”があります。サルコペニアとは筋力減少症という意味で、加齢に伴って骨格筋の量が減少したり、筋力が低下する現象の事です。
廃用性の筋萎縮は老齢に限りませんが、サルコペニアは老化に伴う筋肉減少を指します。
高齢になると筋線維数の減少と筋線維の細りが同時に起こり、筋肉の減少率は平均で1年間l%に達するとみられています。
また人の基礎代謝は加齢によって減っていきますが、これは基礎代謝の中で40%を占める筋肉が減少するためです。
また筋肉が少なくなると酸素を取り入れる量も少なくなり、疲れやすくなります。
しかも筋肉が少ない為に蛋白質の合成そのものが低下して行くという悪循環に陥っていきます。
特に筋力の低下は下腿三頭筋、大腿四頭筋、腸腰筋等に著しく、転びやすくなったり早く歩けなくなります。高齢者の歩く速さは健康度にも関係し、歩く速さが遅い人は速い人に比べて10年後の死亡率が6倍にもなるといいます。
つまり筋肉量は生命を左右するともいえるわけで、高齢者は運動不足に気をつけるだけでなく、積極的に筋肉量を増やすよう努力する事が大切なのです。
高齢者でもトレーニングによって筋肉量は増えるという事も分かってきて、安全に気を付けながらレジスタンス運動で筋力を付ける事が勧められます。
筋収縮に関わる運動神経の細胞体は脊髄にあり、脊髄腹側から出た軸索が目的の筋肉まで達しています。
神経の軸索は途中で幾度か分岐しながら、数十から数千の筋線維には神経一筋接合部という終板で筋肉と接合しています。
1つの神経細胞とそれが支配する筋線維の集団を、運動単位(モーターユニット)といいます。神経も筋肉も「全か無か」「Oか1か」のデジタル型の法則に従うので、運動単位も全体として「全か無か」の作用しかできず、個々の筋線維レベルでは微妙な調節ができません。
これに対して心筋や平滑筋では自律神経の働きによって、個々の筋細胞が無段階に変化するというアナログ的な制御を受けています。
しかし骨格筋は、実際には重いものを持ち上げられる一方で、軽くて壊れやすいものをつまむといった、微妙でなめらかな動きも行うことができます。
1つの筋は数百から数干の様々な大きさの運動単位からなり、運動単位の種類も速筋線維から成るものや遅筋線維から成るもの等の種類があります。
運動単位の活動電位の発し方も低頻度(周波数が少)から高頻度(周波数が多)まで様々な組み合わせがあって、ひとつの運動を行った結果をフィードバックして中枢で巧みにコントロールしています。
運動単位のレベルでいえば、骨格筋は全身が一律な神経支配を受けているのではなく、運動単位の大きさや数が、筋力調節の「大まかさ」「細やかさ」を決定します。
運動単位は長期に渡る学習の結果、一般に上肢の筋で小さく、下肢の筋で大きくなります。
例えば掌にある虫様筋では1個の運動神経は約90本程度の筋線維支配で繊細な動きを行いますが、下腿三頭筋では2000本を支配して大出力を発揮するのです。
筋線維には、遅筋線維(タイプⅠ)と速筋線維(タイプⅡ a一遅筋と速筋の混合型、タイプⅡb)があります。
持久力は赤筋、瞬発力は白筋と筋肉の色でいうこともあります。筋肉に持久力をつけたいのなら遅筋線維を鍛え、瞬発力をつけたいのなら速筋を鍛える必要があります。
運動の速度の違いは筋肉のエンジンにあたるミオシンの遺伝的な違いによるものですが、速筋は遅筋の約2倍の速度があります。元々筋肉の性質は遺伝的な因子が強く影響します。
アメリカの研究では一流の短距離ランナーの速筋は7割を超え、逆にマラソンランナーは遅筋が7割を占めているというデータがあります。
遅筋と速筋の割合は、生れつき決まっていますが、トレーニングによってある程度までは変化させる事ができます。
運動負荷の強度と、遅筋・速筋との関係を考えると、運動強度が最大の40%程度の負荷では、遅筋線維が活動して、運動強度が75%以上になると、速筋線維の活動が始まるといわれています。
つまり、速筋線維を鍛えるには、ダンベル等の強い負荷をかけた運動をすればよいし、遅筋を鍛えるのなら、ジョギング等の負荷をあまりかけない運動が望ましいといえます。
動物の実験等では遅筋を鍛える持続的な運動をすると、1ヶ月位で速筋の遅筋化が起こる事が分かってきました。また、予備細胞であるサテライト細胞も遅筋になる事が明らかになっています。
しかし、遅筋は速筋化しません。ところが不思議なことに長期間宇宙飛行で無重力状態にいたり、骨折でギプスで固定した部位の筋肉は、どちらも萎縮は起こるのですが速筋が増えるというデータがあります。
つまり、筋肉の活動が極めて低下した場合に限り速筋が増えるのです。
その事から、速筋を鍛えるのなら、短い時間に負荷の強いトレーニングを集中的にやって、それ以外の時間は筋肉の負荷を取り除くようにする、つまりゴロゴロ寝ているのが一番ということになります。
この方法は瞬発力が重要な伝統的な相撲の世界ではずっと以前から採りいれられています。
脳の記憶と神秘の間に科学と未知の部分の和合として「心」を置いたとします。
心は脳の記憶を受け止めるのが、脳からの一方的な情報の為にその人の脳により同じ量の不幸でも自殺してしまうほどに悩む人もいればたいした事ないと思う人もいます。
同じ客として店員から不親切不愛想な対応を受けたとしても、なんとも無く見過ごす人もいれば出来事ひとつひとつに我慢の連続でついに脳の沸騰が起きクレームや怒鳴り声を上げ始めます。
そうならないように感情は脳からの映像で自分にとっては真実ですが情報自体を疑りその真実にも疑問や信じない事を提案します。
それより未知の世界の「心」が感情に寄り添いなぜ貴方は怒っているのですか?なぜあなたは不幸と感じているのですか?と想いの内に近づき感情が高まり増幅している事実誤認を鎮めていくのです。
感情の暴走の話ですが、これも始まりは実はかなり早くから始まっています。いきなり上機嫌から自我を忘れるほどの怒りにはならずに同じ時にまたは同じ時期にまたは同じ場所でと脳に怒りの積み木が重なるのです。この時にまた別の機嫌を良くする事があれば積み木はまた低い位置から始まるのです。
花粉症を例にしてみましょう。いきなり発症するのが通例でそれまで無症状で周りに花粉症の人がいて苦しんでいても自分がなるとは思わないし自分にどれだけの抗体が蓄積しているのかも分からないのです。よくコップの水に例えて徐々に溜まって来ていて溢れだす時に似ていると言います。
自覚症状が無いのは他にも身体の不協和が始まりだしているのに自覚症状が無く急に体に変調が出て来て病院に行ったらうつ病と診断されたとか、よくある話で蓄積するのです。
その蓄積は大きなものでは無く小さな事が少しづつ溜まって蓄積していくのです。蓄積なので発症までは病気とは言えず無病ですが未病と東洋医学では読んでいます。これに邪気も含まれ邪気は年齢と共に溜まり続けていくのです。
その蓄積には場所が感情に紐づけられているのなら、だいぶ溜まってきたからそろそろ脳の暴走が始まるとかだいぶうつうつとしたものが溜まって来ていると感情で判断できるかが出来ないのです。
脳には個々のニューロンの配列からか俗にいう頭のよい人と悪い人がいます。勉強は努力すれば成績は上がるのは事実でしょうが限界があります。仮に食事と睡眠時間以外をすべて学習時間にあてたとしても全員東大合格できるわけではありません。
勉強が出来ないから本人の努力不足だと過剰に負担をかけるのも良くないしその能力に応じた負担が本来望ましい育て方でしょう。
勉強ができるから性格が良いわけでもなく理性があるわけでもなく、そのまた別の話で社会的に地位のある人でも側近に恫喝したり奥さんにDVをしたり、簡単にキレてしまうのです。キレたあとには毎回反省し自己の行った暴言や他者への攻撃的な対応を悔いる事しきりでキレた事をよほどの変わった人以外は後になってもそれを肯定する人はいないでしょう。
己の暴発を反省するのですがなぜまた暴発してしまうのでしょうか?自制心が足りない抑えが効かない事はどんなに道徳の本を読み漁って修行をしても怒りの炎は消せません。平時にはその炎の存在自体が無いのですから。
通常意識では現れない感情が怒りによって獣のような心の変革が内面に起きるのですから不思議なものです。この時点で意識のコントロールが制御不能になり夫婦喧嘩などで大声やお皿が割れたり、社会では傷害、暴行事件や殺人事件までに進んでしまう事もあります。
精神論で精神をいくら鍛えても精神が脳の活動である事ですから脳には先に頭の良い悪い等の個別の例のごとく先天的な特性を超えるのが厳しいのです。
犯罪者を個別に打ち解けて話をすると、とても悪事をするとはその場ではとても思えない人達ばかりです。しかし再犯性はとても高く、それが社会が過去の犯罪者に温かい対応が不足しているからだとも言われますが、計画性犯罪は別において激情型犯罪は社会とは別な問題と思われます。
一見大人しい様に見える人が実は外に発言などの発信をしないだけでかなり短気でブツブツと暴言を言ったりしている人を知っています。こうなると誰でもこの激情は持っていて個人が認める認めないに関わらず神という第三者からみたら奥底に潜んでいるのがお見通しかもしれません。
研究者は脳の仕組みや行動学実験から脳を脳神経科学と呼ばれる分野から膨大なビックデータとそれを調べると脳に霊がいて精神活動をしている裏付けが無い事から脳は単に情報収集のネットワークの拠点であり刺激伝達の中枢でその刺激に対し神経ニューロン等の違いから同一刺激同一反応同一思考は生まれずに脳と精神は一体であり切り離しては存在できないとした考えがあります。
脳は肉体の一部パーツであり機械だとして機械が壊れれば精神は停止するもので人間の身体は霊長類という呼称もありますが哺乳類で神秘化を否定して死んだら腐る生物でしかないとした。「世間の人が死んだらおしまいその先なんかある筈ないでしょ」と発言する人にはそれを肯定する研究者の本もあります。
しかし幽霊なんかいるはずない、神はいないと否定する人にとっても神はいる常に見守っていてくださる。とした霊の否定と肯定の中間に【こころ】を場所として置いたのです。
心の場所は頭の中にあるのか心臓の拍動部にあるのか?よくイラストではハートマークをこころとして使いますが心の場所は確定したものではありません。神を天にいるとしていると思っている人がいれば宇宙のかなたにいると思っているひともいれば貴方の横に寄り添っていますと言う人もいます。
未知の世界と現実の世界の間に一つの精神世界が必要なのです。それがこころです。こころはその人の生き方の価値観に影響を受けます。与えるよりも影響を受ける方が多いでしょう。お金を中心に考えている生活の人と宗教的な行いを中心に考えている人では仮に同じ状況立場になってもまるっきり同じ行動をする事は無い事は推測できます。精神の優先順位が違うからです。
その人に心が無いわけではなく心が精神活動を支配できる範囲が狭いから悲しい行動をしてしまいます。東洋の道教思想でも徳が無い人に出会ったら哀れみなさいとあります。哀れな人でしかないのです。