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寅列刺(コレラ)は衛生の母なり

2020.06.06 | Category: 感染症

コレラが日本に初めて入って来たのは開国46年前の1822年長崎で、その時は京阪地域までに犠牲者が広がっています。

その後もコレラの世界的大流行の度に日本中で感染者が出て、明治時代では数年毎に数万人から数十万人ずつの死者が出て人々から恐れられていました。

日本では明治前半に当たる時期、世界ではコレラを始め致命的な伝染病の病原菌が発見されて、その発見で撲滅すべきは細菌であるとターゲットを絞れる様になっていきました。

コレラの流行は国の存亡にも関わる事で、文明国家である為には伝染病の撲滅がなんとしても必要でした。

つまり個人の健康の為だけでなく、国家や組織を病気から守るために「衛生」というシステム力も必要となったのです。

それまで個人の「養生」として考えられていた健康法は、「衛生」システムとして国家事業になっていきました。

明治以来、漢方が認められずに西洋医学中心になっていったのは、漢方には消毒や毒物分析という考え方がなく防疫と言う事が出来ない、つまり漢方では個人の病はともかく、国家組織を守れないという点で国家の要請に応えられないとみなされた面があった様です。

富国強兵の元、衛生はまず軍隊で徹底され、生産を支えるエ場現場の衛生などが優先される事になり、民間に浸透していくのはもっとずっと後になります。


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